あたまんなか

なんか書く。ほぼ日記

なんだかとても良い気分なので(ハイボール飲んでる)あたまんなかをことばにおとそう。

こないだ、親友が1つの記事を共有してくれた。

なんかすごい、晴れた。本当に晴れた。

これこれ、これだわって感じが久しぶりにあった。

 

心も身体もちょっとおかしくなったなって時から、すごく自分を守っていた感覚によく気付いた。ゆっくりゆっくり歩いて、しんどくないように、できるだけ安心安全な場所から出ないようにすごして。

いやでも、これもあの時の自分には確実に必要な時間だった。なかったら死んでいた。だから、ちゃんと認めている。

 

ここ最近「あれ?自分なんか大人しすぎないか?」と思っていた矢先。必要な時に必要な言葉に出会えるんだなって、ちゃんとこんな感情になれるんだなって、なんというか、感動。数日前には想像できていなかったこと。

 

死なないように、死なないようにって、生きてなかった。「湿っぽい」という言葉が何度も出てきていたけど、本当になんか湿っぽかった。しめしめの権化。湿度高すぎてカビ生えてた。もうすぐキノコ生えるところやった。

 

傷ついても怒ることなんてできず、「なんでそんなこと言うの~~」としくしくしていた。いますぐに変えることなんでできないし、ハートはもとよりやわやわのままだけど、意識はぐんっと上向きになった気がする。

 

なんだか、私、すごい日本人だ。察して文化が私の中に寄生している。

湿っぽいな。やめようやめよう。

 

別の人の記事だけど、とても救われたことばがあった。

 

自分の気持ちを表現すること、自分の気持ちを認めることは、常に恐怖がつきまとう。自分の一番繊細な部分を、日の目に晒す行為になる。一番傷つきたくない部分、一番拒絶されたくない部分を「傷つくリスク」「拒絶されるリスク」に晒す行為になる。~~~ただ、絶対に残るものがある。それは「自分は、愛した」という手応えだ。手応えだけは、確実に残る。それは、傷という形で残るかもしれない。涙という形で残るかもしれない。恥ずかしさという形で残るかもしれない。みっともなさという形で残るかもしれない。それでも、なにもしないことよりは、ずっと、いい。誰かを愛して傷つくことは、誰一人愛さないことより、ずっといい。

 

これを見た時、過去が本当に過去になったと思った。

私はあの恋を乗り越えているように思う。

駆け引きなんかせずに真正面からぶつかったし、今思えばだいぶイタいことも言った。でも、これでよかった。できるだけのことはやった。私には「愛した」という手ごたえはある。完全に好きだった。本当に好きだったから、もういい。今は何も未練などない。鈍めの矢は刺さって抜けていないけど、それでも過去はちゃんと過去になった。

 

また、新しい素敵な出会いがあったから。あれもこれも、私には必要だったんだと思う。

 

伏線回収していきたいな~

強気でいこう~