米津玄師さんの「がらくた」という曲を聴きながら書いています。
”例えばあなたがずっと壊れていても 二度と戻りはしなくても
構わないから 僕のそばで生きていてよ
どこかで失くしたものを探しにいこう どこにもなくっても
どこにもなかったねと 笑う二人はがらくた”
このサビの歌詞が好き
廃品回収車の「壊れていてもかまいません」というアナウンスからインスピレーションを受けた歌詞らしい。
何気ない日常のものが、あらゆる角度で捉えることができて
感じ方も違って、生まれる感情も違う
正解も不正解もなく、それぞれであって、それぞれ”が”在って、尊いなって思う。
最近はなんだか自分が浅く思えます。
好きな自分もあんまり分かんないや。でも、考えなくても良いのかもね。
なんでもいいのかも。
自分で自分の中に型とか正解とかを敷いてしまうけど、「ありのまま」さえよく分からないけど、目の前にあるものを認めて受け止められたらよいのかな。
不純物でもいいし、がらくたでもいい。
形がなくとも、いびつでも。
正解を探して、充実や自由を求めてたくさん本を読んでみたりもするけど
どれも結局は上澄みなのかなと思う最近。
原著に影響を受けた人が執筆した言葉。それにまた影響を受けた人が執筆した言葉。
どれだけ「源」が残っているのか。
上澄みの上澄みの上澄みを見ているような。
エッセンスだけを効率的に取り入れることがよいのか。
源流や背景を知らない人が、語れるものの多さはどこまであるのか。
難しいなと感じる部分。
最近自分が浅く思えてしまうのは、言葉をあんまり使っていない感覚。
ずっと無口とかそういうのではなくて、正しい場所で正しい温度の言葉を考えていないような。
ありふれた言葉を使っている。
あまりにも日常的な。
言葉をたくさん知っている人が好きだ。
例外なく、繊細な人が多いように思う。
自分の言い表したいことを、的確に伝えられるように。
人を傷つけないように。
また、気が向いた時に少しずつ書いていこうと思う。
記録もかねて。