「自分から自分の話、あんまりせんよな」
この類の言葉を結構言われてきた。
自己開示は下手くそだと思う。
したいけど。
でも、どこか話したいと思わない自分もいて。
知ってほしいけど、別にいいやって思うことが多かった。
「なぜ自分から自分の話をあまりしないのか」
「知ってほしいはずなのに、なぜ知ってもらおうとしないのか」
なんか、ずっと考えてた。
その「解」がひとつ見つかった気がする。
きっと、
分かってほしすぎて、話さないんだろうな、と。
自分のことを話して、すごく楽しかった経験があまり思いあたらない。
自分の話をして、満たされたことがあまりない。
話を聞いてくれる人はたくさんいたけど、それ以上のものをくれる人はあまりいなかった。
受け止めてほしいだけじゃなかった。
話を聞いてほしいだけじゃなかった。
いつもずっと、"返報"を求め続けてきた。
私は、あなたにはどう映ってるのか。
私の話を聞いて、あなたはどう感じたのか。
私の話から生まれたものや、失ったものは何があるのか。
そんな、返報をしてくれる人をずっと求めていたんだと思う。
だから、自分の話を受け止めたか受け流したか、分からなかったり、話さなくてもよかったなって思ったら、「話さない方が分かってもらえるのかも」ってなっていた。
ずっとフィードバックが欲しかった。
プラスでもマイナスでもいい。
目の前の私に対して、何か発信してほしかった。
自分の中で「私」をかみ砕いて、理解して伝えてくれる人を求めていた。
どうしようもなく「わかってほしい」人間なんだと思う。
好きでも、返報をくれない人には、自分のことあまり話さない理由はきっとそれ。
「わからないだろう」ってあきらめてるのかもしれない。
悪いくせ。
人に対して諦めがちだなあ。
最近よく話すようになったのは、返報をくれる人が周りに増えたから。
話したいな、と思えるのも、話すことで生まれるものが多くあると思えるから。
進めると思っているから。
きっとそう。
「あの人にこう言われた」って記憶が鮮明に残っているのも、夢にもたくさん出てくるのも、私について理解しようとしてくれてる、考えてくれている事実が嬉しいんだと思う。
良いことでも、悪いことでも。
自分って結構、欲深いんだな、とか思う。
人との関係でベクトルが自分に向きがち。
思うことはたくさんあるけど、なんかちょっとすっきりした。
そういうことか~って。
認知できただけ一歩すすんだかな~。